土曜日, 1月 24, 2009

さよな ら、サイレント・ネイビー

 伊東乾さんという人を私はインターネット上のコラムで知った。彼は「常識の源流探訪」という連載を日経ビジネスオンラインで行っている。そのコラムが大変面白かったので、彼の著作も読んでみようと思い購入した本の一つがタイトルにある「さようなら、サイレント・ネイビー」である(余談ではあるが本の表紙に書かれているタイトルの「さようなら」の「な」と「ら」の間に半角ほどのスペースが空いているのだが何か意味があるのだろうか)。

 著者がこの本を著した動機は彼の大学時代の実験の相手(著者も一目置いていた同級生)がオウム真理教の幹部として一連の事件に関与したことに端を発している。「二度とああいう事を繰り返してはならない」という<目的>に対して著者は7つの問いを設定する。この本にはその問いへアプローチしていく過程が綴られている。私はこの本に書かれている内容がとても新鮮に感じた。初めて知る内容があまりにも多かったからだ(オウム関連の本は初めて読んだという事もあるが)。探偵小説を読むような構成で徐々にバラバラだったものが一つにつながって見えてくる感じがして一気に読み切ってしまった。なぜタイトルが「さようなら、サイレント・ネイビー」なのか、なぜ海軍なのかという事も読み進むにつれて理解できるのである。まだ戦後は終わっていないと感じた。

 脅威に対して個人が、そして社会がどのように反応するのか、その社会の弱点や性癖を理解し短所を常に意識しておく必要があると思う。著者はそこにある種のパターンを垣間見ている。個人の脳が恐怖に直面したときどう反応するのかを著者は脳血流の測定から明らかにしている。この脳のメカニズムを利用する事で個人を洗脳することができてしまう。そして社会全体が洗脳されたとき、それを「どうやって償還することが可能なのか。誰も答えを知らない。」著者はルワンダの虐殺からの復興に関与し国際共働ロジェクトを立ち上げ、そこで一つの手がかりを得たように思う。『処刑は儚い。赦しは重く、そして、強い』

 著者と被告は物理学科の同級生だった。著者と被告の分岐点は何だったのか。現状に限界を感じたとき人は環境を変える。純粋で人生に対して真面目であれば当然の結論だろう。著者は音楽「ギョーカイ」に「出家」した一方で被告はオウム真理教に出家してしまった。オウムに「行かずにすんだ連中は現実との妥協で汚れちゃった自分を知ってるだけなんだ」と著者はいう。著者の生い立ちは本の中で折に触れて、また最後にまとめて被告への手紙という形でつづられている。戦争の体験を聞かされて育ち、高校卒業後、海外を放浪した著者。さらに彼にとって戦争の起源を見抜く事は「親の仇」でもあるのだった。先の戦争もオウム事件も共通するものがあり、著者にはそれを放置しておく事ができない。その著者の対象への迫り方には迫力があるが、被告の生い立ちについては一切触れられていない(意図的に触れていないと思われる)。おそらくオウムに行ってしまった人は現実に妥協せず汚れなかった、そして自分を知らなかったのではないかと思う。

 自分を知るというのは自分の使命を意識するという事なのではないかと思う。学生の頃に自分の使命を持っている人はまれだと思う。若気の至りから危険水域に足を突っ込んでしまうのは誰にも起こりえることだろう。危険水域に足を突っ込みつつ何かを見つけていくのだと思う。そういう多感な時期に大学の先生の果たす役割は大きい。著者は大学教授職という中立の立場から「罪を憎んで人を許し、再発を防止する叡智を呼びかける」決意をしている。こういう先生のもとで学べる学生がうらやましくも思うが、本来は家庭や地域社会の中で学ぶべき事なのかもしれない。