火曜日, 1月 27, 2009

郷に入りては

 松村喜秀氏が日経BPネットに書かれたコラム(マナーの悪い不良外国人に「喝!」)を読んだ。氏の思いの丈がつづられているので、何を根拠に仰っているのか不明な事がしばしばあるのが気になるところだ。それは置いておいて、この”不良”外国人の話に思わず吹き出してしまったので紹介したい。その話は築地市場を見学する外国人観光客の話なのだが、運搬車の荷台に乗ってはしゃいだあげく注意されても臆することなく日本人を馬鹿にしたような物言い(「わたしはフランス人です。あなたの名前は何ですか」)をしたというものである。このフランス人というところを読んで吹き出したわけだ。フランスの若者なら致し方ないと思う。すべての若者がそのような行為をするとは思わないけれど、トラブルを避けるためには禁止事項を事細かく定め、それぞれペナルティも定めた文書を明示して承諾していただいた上で見学してもらう必要があるのではと思う。

 フランスの若者に関してはフランス人自体がお手上げ状態で、私の職場では「フランスの子供たちを日本に送って教育してもらいたい。」とこれまた冗談抜きで真剣に言われる始末なのである。職場で聞いた話ではあるが学校の先生が下手に子供に注意すると裁判沙汰になるそうだ(どこまで本当なのかは未確認ではあるが実際のニュースをネタに説明してくれた)。そういうわけでほとんど手がつけられないらしい。

 ”不良”かどうかは抜きにしても日本とフランスではかなり文化の違いがあるのは事実だ。ショッピングセンターへ行けば日本ではあり得ない光景がたくさん見られる。それでも社会は回っていくのだから、ある意味、とても気楽ではある(肩が凝らなくて良いです)。モンペリエのショッピングセンターでよく見る面白い光景としては
1、会計を済ませてなくてもマイバッグに商品を入れる(ほぼ常識)
  →レジでおもむろにマイバッグから商品を出して会計を済ませる。
2、会計を済ませてなくても歩きながら食べたり飲んだりする(ちらほら)
  →レジで食べさしの商品を普通に会計してもらう(何の問題も起らない)
3、ショッピングカートに子供を乗せる(当然土足で)
  →そのカートに気にせず食品も載せる
4、商品の封を開けて匂いを嗅いだりする(石鹸とか香辛料とか)
5、おもむろにブドウを試食する(ほぼ常識)
  →ブドウ売り場はかなりカオスなことに

 ショッピングセンター自体の作りも日本とはかなり異なり、食品、本・CD、衣類、大工道具・観葉植物、電化製品がすべてが同じ階(日本で言うところの一階)にあって会計も最後に一度で済ませる形式なのでかなりカオスなのだ。しかしこれは結構便利で日本なら、大工道具は○○、食品は××、はたまた本は△△と、毎週週末はドライブする羽目になるのだが、その必要がない(モンペリエをドライブしたくても車がないという話はとりあえず置いておきます)。

 ついでなので町なかの面白い光景も挙げておきます。
1、タバコ(火のついたまま)のポイ捨てと歩きタバコ(常識)
  →タバコが燃え広がる事があります
2、トラムやバスの椅子の上に土足をのせる事(しばしば)
3、父親の膝の上に子供が土足で乗る事
  →たぶん土足に対するとらえ方が日本的な考え方とは完全に違います。
4、人前でもお気軽に鼻をティッシュでかみ、そのティッシュはポケットにおもむろにしまう事(男女共通)
  →ティッシュは決して捨てずにぐしゃぐしゃになるまで使用可能な模様
  →アレルギー性鼻炎が時々発症する私にはありがたい風習です。
5、ところかまわずキスを交わす事
  →それなりに絵になる光景ではありますが、満員バスの中で超ディープキスを永遠と交わし続けたカップルがいました(これには完全降伏)。あのまま収まりがつくのかと余計な心配をしてしまいます。
6、バスの運転手が携帯電話に夢中で乗客が降りるバス停を通り過ぎる事
  →バス停を通り過ぎる事はまれな事ですが、携帯しながらとか音楽聞きながらの運転は普通にありです。
7、バスに乗っているのかスポーツカーに乗っているのか錯覚する事
  →バスの運転手によりますがどこかにしっかりつかまっていないと危険な事があります。
8、自家用車は走ればOK。ディーゼルエンジンは常識。
  黒煙上げようと、ぶつけようとあまり気にしてなさそう。
  狭い場所へも気にせず駐車(新車を買うといつぶつけられるかとかなり心配なのだそうですが、土地が狭いから仕方がないのだとか・・・)。

面白い話は永遠に続く感じもしますが、この辺でやめておきます。
不思議の国、フランス。楽しさ満載です。
(フランス人が日本を見るとき、不思議の国・日本を見ている事は間違いないと思われます)

月曜日, 1月 26, 2009

青い空と白い世界

モンペリエから車で1時間半くらい北上したところにセベンネ(Cévennes)という集落があります。昨年の秋にもハイキングに行ったところです。今回も職場の人と一緒にハイキングに行ってきました。このところ一週間ほど天気が悪っかたのです(昨日は特に風が強くていろいろなものが吹き飛ぶくらいで危険なくらい)が、今日は久しぶりに良い天気でした。私は雪の上を歩いたのはこれで2回目です(一回目は大学の時の体育の授業でした)がとても疲れるものです。しかし、青い空と白い世界は実に爽快です。これならまた来たいと思います。標高1285mのCol de Faubelというところまで車で上がりました。途中の道路は雪が積もっていて凍っているところもあったのですがフランスの人々はチェーンも装着せずに走る人が多いようです。途中の山小屋でカンジキ(ラケットと言うようです)を借りました。8ユーロで一日貸してくれます。

  お昼は雪の上で食べました。フランス人は雪の上に腰を下ろしたり寝転がったりしてくつろぎます。私は単に濡れるのがいやだったので雪の上にしゃがんでいました。それを見たフランス人曰く「アジアstyle」といって感心していました。母親が中国人というフランス人女性曰く「私もその座り方は少しはできるけど長くはできない」だそうです。ひょんなところから育ちはばれてしまうものです。

 やはりフランス人にワインは欠かせないらしくGalette des roisのおやつを食べながら自家製Vin chaud(ホットワイン)で乾杯(なぜか日本語)でした。Gallette des roisというのは新年のお店を席巻するキリスト教に関連した伝統的な焼き菓子です。職場の食堂でも注文を受け付けていました。なぜか当たりを引いてしまい王冠を被るというおまけつきでした。
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土曜日, 1月 24, 2009

さよな ら、サイレント・ネイビー

 伊東乾さんという人を私はインターネット上のコラムで知った。彼は「常識の源流探訪」という連載を日経ビジネスオンラインで行っている。そのコラムが大変面白かったので、彼の著作も読んでみようと思い購入した本の一つがタイトルにある「さようなら、サイレント・ネイビー」である(余談ではあるが本の表紙に書かれているタイトルの「さようなら」の「な」と「ら」の間に半角ほどのスペースが空いているのだが何か意味があるのだろうか)。

 著者がこの本を著した動機は彼の大学時代の実験の相手(著者も一目置いていた同級生)がオウム真理教の幹部として一連の事件に関与したことに端を発している。「二度とああいう事を繰り返してはならない」という<目的>に対して著者は7つの問いを設定する。この本にはその問いへアプローチしていく過程が綴られている。私はこの本に書かれている内容がとても新鮮に感じた。初めて知る内容があまりにも多かったからだ(オウム関連の本は初めて読んだという事もあるが)。探偵小説を読むような構成で徐々にバラバラだったものが一つにつながって見えてくる感じがして一気に読み切ってしまった。なぜタイトルが「さようなら、サイレント・ネイビー」なのか、なぜ海軍なのかという事も読み進むにつれて理解できるのである。まだ戦後は終わっていないと感じた。

 脅威に対して個人が、そして社会がどのように反応するのか、その社会の弱点や性癖を理解し短所を常に意識しておく必要があると思う。著者はそこにある種のパターンを垣間見ている。個人の脳が恐怖に直面したときどう反応するのかを著者は脳血流の測定から明らかにしている。この脳のメカニズムを利用する事で個人を洗脳することができてしまう。そして社会全体が洗脳されたとき、それを「どうやって償還することが可能なのか。誰も答えを知らない。」著者はルワンダの虐殺からの復興に関与し国際共働ロジェクトを立ち上げ、そこで一つの手がかりを得たように思う。『処刑は儚い。赦しは重く、そして、強い』

 著者と被告は物理学科の同級生だった。著者と被告の分岐点は何だったのか。現状に限界を感じたとき人は環境を変える。純粋で人生に対して真面目であれば当然の結論だろう。著者は音楽「ギョーカイ」に「出家」した一方で被告はオウム真理教に出家してしまった。オウムに「行かずにすんだ連中は現実との妥協で汚れちゃった自分を知ってるだけなんだ」と著者はいう。著者の生い立ちは本の中で折に触れて、また最後にまとめて被告への手紙という形でつづられている。戦争の体験を聞かされて育ち、高校卒業後、海外を放浪した著者。さらに彼にとって戦争の起源を見抜く事は「親の仇」でもあるのだった。先の戦争もオウム事件も共通するものがあり、著者にはそれを放置しておく事ができない。その著者の対象への迫り方には迫力があるが、被告の生い立ちについては一切触れられていない(意図的に触れていないと思われる)。おそらくオウムに行ってしまった人は現実に妥協せず汚れなかった、そして自分を知らなかったのではないかと思う。

 自分を知るというのは自分の使命を意識するという事なのではないかと思う。学生の頃に自分の使命を持っている人はまれだと思う。若気の至りから危険水域に足を突っ込んでしまうのは誰にも起こりえることだろう。危険水域に足を突っ込みつつ何かを見つけていくのだと思う。そういう多感な時期に大学の先生の果たす役割は大きい。著者は大学教授職という中立の立場から「罪を憎んで人を許し、再発を防止する叡智を呼びかける」決意をしている。こういう先生のもとで学べる学生がうらやましくも思うが、本来は家庭や地域社会の中で学ぶべき事なのかもしれない。

火曜日, 1月 20, 2009

カナビス

 少し寝坊した先週のある朝、TRAMの駅に足早に向かい次の電車がいつ来るのかと時刻表(電光掲示板)を見上げてみると10分後、10分後、11分後となっていた。これはやばいと思った。今日はいつものバスに乗れないかなと半分あきらめつつも、10分、10分、11分という異様な時間間隔に何か事故でも起ったのかと思ってはいた。でも運良くいつものバスに駆け込み、すれすれで間に合って一安心。カメルーンの友達もどうやら同じ電車に乗っていたようなのだけど、バスに乗り込むなり興奮して話してきた。「警察が乗り込んできてTRAMを止めて目の前で逮捕したよ」「映画を見ているようだった」「カナビスだよ」という。でも私はカナビスが何か分からなかった。どうやら麻薬のことらしい。(あとで調べたら大麻だった)「カナビスは間単に手に入るから違法と言うことを知らないやつがいる」「俺も、ほんの少しだけど30ユーロで買って鼻にちょっとつけてみたら、それはもう王になった気分だった」とのこと。「でも逮捕されたのが黒人じゃなくて良かったよ。はっはっはっ(笑)」
 職場でもこのことを話したら、カナビスが間単に手に入るというのは事実のようです。家庭菜園で栽培している人もいるらしく、警察はヘリコプターを飛ばして取り締まるそうです。なので最近は室内栽培が盛んだとか。それ専用のライトが売られているとか・・・。スペインに行けば吸えるけど買えないとか、本当にしたかったらベルギーに行かないと。少年にとっては大冒険だとか・・。まぁそういう世界もあるわけですね。私は今のところワインさえあれば十分ですが・・。そのうちコニャックに手が伸びるかも・・。

カメルーンのバス友

 今日は通勤中のバスで最近知り合った友達を紹介したいと思います。TRAMのバスは後方が4人掛けのボックス席になっているところがあります。たまたま朝そこに座ってフランス語の会話帳を見ていたときのこと、「何見てるの?」と言う感じの声をかけられました。それが英語だったかフランス語だったかは忘れましたが。「フランス語の勉強だよ」と答えたことから、どこから来たのかという話になり、「俺はカメルーン。カメルーン知ってるか?」「もちろん。」「どうして知っているのか?」などと聞くので「サッカーのワールドカップが開催されたときにカメルーンの選手が日本に来たからさ」と答えておきました。自分が子供の頃にカメルーンで火山噴火の激甚災害があったことも記憶に残ってはいましたが・・・。このカメルーンの青年は実に陽気。私が一言何か言えばそれだけで笑ってくれます。私も一緒になって笑います。朝のバスにしてはかなり異様な盛り上がりようです(帰りのバスは結構うるさいけど)。カメルーンの公用語は英語とフランス語のようです。次は中国語を勉強したいと言っていました。とにかくカメルーンには中国人が増えたそうです。中国製品は安くて良いといいながら私に携帯を見せてくれました。「みんなフランスの土産というと喜ぶんだけど実はこれ中国製」30ユーロだそうです。中国製じゃないと60ユーロだそうです。(携帯を持っていない私は相場が分からないんですけどね)アフリカには見送ってくれた人、すべてにお土産を渡す(たとえ1ユーロのものでも良いらしい)風習があるそうです。「中、開けてみたら漢字が書いてあるし中国製と分かってしまうじゃない?」と私が心配すると「分からないから大丈夫、大丈夫」「中国製の方が高機能で良いのだ」そうです。
 彼のおかげでしばらく毎朝楽しめそうです。フランス語をどれだけ理解できるか、たまにテストされたりもするので大変です。私がへまをするとこれまた大爆笑。日本だったらあり得ない出会いですね。

月曜日, 1月 12, 2009

Solde

 今日は天気も良かったので夕方、町なかをふらついてきました。一日一度は家から外へ出るのを日課にしているからです。今日は日曜日ですが珍しくものすごい人混みでした(普通の日曜日はお店は休みです)。それもそのはずで町なかはどうやらクリスマス商戦で売れ残った品のバーゲンセールで賑わっているようでした。30%、50%、70%引きなんて書かれています。 フランスへの買い出しはこの季節がお勧めかもしれません。
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ギモーヴとババ

 今日はスーパーで買ったお菓子を紹介します。日頃はお菓子などはわざわざ買って食べないのですが誰かにプレゼントするとしたら何が良いか探索してみたのです。未知な物に出会ったら、とりあえず食べてみるのが私の主義なので、怪しい保存料さえ入ってなければ、あまり考えずに買ってしまいます。
 最初の画像はGuimauves au mielというものです。蜂蜜のマシュマロとでも訳すのでしょうか。原料はsirop de glucose de blé, sucre, miel (8.3%), gélatine de porc, amidon de blé, caramel de glucoseとなっています。もちもちした食感が気に入りました。柚餅子(ゆべし)に似てないこともないですが、柚餅子よりもっとふわふわした食感です。
 二番目の画像はBaba au Rhumと書いてあります。原料は砂糖・水・ラム(12%)・小麦粉・卵・バター・塩・イースト・海草抽出物(extrait d'algues)となています。ホイップクリームと砂糖と一緒に食べるとおいしいと書いてありましたが、とりあえずそのまま食べてみました。ラム・砂糖漬のお菓子ですね。検索してみると伝統あるお菓子のようですが、私には甘すぎるようです。
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木曜日, 1月 08, 2009

オリーブと雪

今日は雪が降りました。職場では雪のため早退を認めますとのメールが流れ同じ研究室の職員の車でトラムの駅まで送ってもらいました。研究所では結構、雪が積もっていたのですが町中に出てくるとそれほどでもなくてがっかりでした。モンペリエでは雪の降るのはかなりまれなようです。写真はオリーブの葉の上に積もった雪です。
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金曜日, 1月 02, 2009

大晦日

 大晦日の夕方、ホストファーザーからパーティに行かないかと誘われました。彼は奥さんの実家でクリスマスを過ごした後、仕事の関係で数日前にモンペリエに戻ってきていました。私は自分自身の仕事納めを終えたところで、かなり疲れていてそれとなく断りたい心境でした。しかし是非一緒にとのことだったので、フランス人の生態を観察する良い機会でもありますから遠慮なく参加させてもらうことにしました。

 2時間後の出発の時、私のために「これを持って行けと」、ホストファーザーはワインまで渡してくれました。本当にありがたいことでした(フランスではinviteされたらたいていワインを持参するようです)。彼は少しドレスアップしていて私はどこに連れて行かれるのかかなり不安になりましたが後の祭りでした。滞在中の日本人と言うことで許してもらうしかありません。そのまま普段着で出発でした(ドレスアップするような服も持ってなかったし)。ちょうど相棒が日本から送ってくれた煎餅があったので「これを持参しても良いか」と彼に聞いたら、それは良いとのことなので持って行っきました。

 まずフィリップの家に寄って彼らをピックアップしていくとのこと。フィリップの家に着くなり、棚からおもむろにリキュールを、そして冷蔵庫からワインを取り出し飲み始めるホストファーザー。ほとんど自宅のような感覚です。それから4人で乾杯。パーティに行く前にできあがってしまうのではないかと心配になりました。少しほろ酔い気分になったところで本日のホストの家に車で移動しました。

 ホストのお宅につくとまずホストの方や先に着いていた人からのお出迎えを受けました。女性とはビズを交わし、男性とは握手を交わします。これがおそらく20時少しすぎぐらいのこと。応接室のような広間でシャンパンで乾杯をして前菜を食べながらフランス人のマシンガン・トークにつきあいました。内容は聞き取れる単語から想像するしかありませんでしたが。たまに私に話が振られるのでそのときは必死に集中します。

 お煎餅を皆さんに食べてもらいましたがとても好評でした。お煎餅の形もおしゃれでなかなか良い感じでした。ただフランス人には塩味が足りなかったかも(彼らは結構しょっぱい物を好みます)。でも突然、パーティに誘われた時などは保存の利く煎餅は重宝します。

 メインディッシュとしていただいたのは生牡蠣でした。台所で殻を割ったばかりの物が皿に盛られて出てくるのでおいしいはずです。ただ殻を割りながらホストが匂いを嗅いて選別していたので心配でしたが大丈夫だったようです。私は生牡蠣が好きなのですが、たまにウィルスに負けてしまうことがあるのでいつも警戒しています。

 夜も更けて12時を過ぎると「明けましておめでとう」となるわけですが、ここでまた女性とはビズを交わして、男性とは握手をして新年を祝いました。そして皆さん、おもむろに電話をしています。家族に電話をしているようです。新年の挨拶なのでしょう。

 フランス人のマシンガン・トークは尽きることなく続くわけですが、実は皆さん(この夜集った8人)の出身がいろいろだと言うことがわかりました。私のホストファーザーがモロッコ出身であることは知っていましたが、スペイン、アナバ(アルジェリア)、コンスタンティンヌ(アルジェリア?)、ブルガリア、そしてフランス人と称するホスト自身もスペインとイギリスのハーフとのこと。そして残る1人もセネガルで17年暮らしていたようです。これがフランスの実態なのか、それともこの集団が異常なのかはよくわかりませんが。チーズとアイスを最後にいただくまでワインをずっと飲みながら話し続けたのでした。

 それからまた応接室に移動してこれからが大変でした。スペイン出身の女性が歌い始めます。その細い体のどこから声が出るのかと思うほどいい声で歌うので感動しました。足でリズムをただ取るだけでノリの良い歌を次々歌います。私はかなり睡魔に襲われながら耐えていたら、日本の歌を歌ってくれとのリクエストが・・・。日本にいてもカラオケにも行かないし歌を歌うこともなく過ごしていたので、何を歌って良いのかもわからず、ふっと思いついた「蛍の光」を歌いました。歌詞も途中間違えていたと思いますが、誰もわからないでしょうから気にせず歌いきりました。ブルガリアの女性もお国の歌を歌いました。最後にスペインの女性と私のホストファーザーが歌いながら踊り、解散となりました。皆さんとビズや握手をして帰宅したのが午前3時40分!ホストファーザーは50代だと思いますが、よく食べるし飲むし、実に元気な方です。これがフランス人の一般的な大晦日の過ごし方なのかどうかは、かなり疑問なのですが、刺激的な一晩でした。

木曜日, 1月 01, 2009

12月のモンペリエ

ワイン祭りが終わると会場はそのまま商店街に変身してクリスマスプレゼント売り場に変わります。この状態が31日まで約一月続きます。写真はコメディ広場からポリゴンにかけての通り。金曜日の夜や土日などはものすごい人混みです。職場の同僚もプレゼントには頭を悩ませているようでした。一人一人に何をプレゼントするのが良いか考えるのは結構大変です。クリスマスの前の週末くらいがやはり一番の賑わいでした。24日の夜は3割くらいの店が閉まっていましたし、25日はすべての店が閉店で、この人混みが嘘のように、町なかには人がいませんでした。この商店街は31日まで出ていましたが31日の午後になるともうぼちぼち店終いが始まりました。冬至を過ぎてこれからだんだん日が長くなり、太陽の季節に近づきます。年末は一週間ほど余りよい天気ではなくほとんど曇りや雨で太陽の季節が待ち遠しいです。
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