土曜日, 12月 19, 2009

12月の町並み

12月になって少し夜の街が明るくなりました。とはいっても昨年住んでいたモンペリエの町なかと比べると地味ではありますが。街路灯に星の明かりがついたことと光の橋が道を横切っていることくらいです。
 
ここが唯一のメインストリートです。X印の街灯はバゲットを表していて街で唯一のパン屋さんです。その向かいには教会、薬屋、役場の支所があります。

 
こちらは道路に面したお家です。道路からよく見えます。田舎ではありますがクリスマスに向けて少し華やかになっています。さすがカトリックの国ですね。


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Repas de Noël その3

 研究所に一人の中国人がいます。いつも会話する機会がないのですが、今日の食事会で隣の席だったのではじめてじっくり話をすることができました。私は中国系の人と話しをするときは先ず自分の名前を漢字で自己紹介することにしています。彼の名前も漢字で書いてもらいました。彼の故郷は北朝鮮と中国の国境にあるのだそうです。あの川の近くなんだそうです。大学まで中国にいたようですが修士からスウェーデンのヨーテボリ大学に通いそこで学位を取ったようです。

 彼との会話で印象に残ったのは「将来中国に戻る予定はあるのか」と聞いて彼が言った言葉です。「どこでもいい」「最近は中国では定職にはこだわっている人はいない」「時代はものすごい速さで変わっている」「今の日本の研究所にずっと勤めるつもりなのか」・・。経済成長著しい中国人のたくましさを垣間見た気がしました。彼はいつも一人で食事をしていて、今日も食べ終わるとすぐ一人で出て行ってしまいました。

Repas de Noël その2

 今日の食事会でたまたま近くに座っていたフランス人が知っている日本語を披露してくれました。

ハラキリ、サムライ、ショウグン、ハイク、スシ、サケ、フジヤマ、ゲイシャ、カミカゼ、バンザイ、セップク、カラテ、キモノ、カイシャク、マンガ、オハヨウゴザイマス、スドクそのほか電機メーカー、自動車会社の名前など・・・。

 フランス人の日本に対する認識がよくわかって面白いものです。どういう単語が飛び出すかは大体予想はしていたのですが介錯なんて難しい単語を良くぞ知っていたと感心しました。俳句は少し高級ですが確かに本屋さんに行ってもHaïkuの本は見かけます。フランス人がハイクをどのように認識しているのか、ちょっと興味がわくのでそのうち本を見てみようかと思います。Sudokuは数独という日本語に対応するもののようで、一種のパズルのようなもので本屋さんにはたいてい置いてあって結構人気があるようです。私はしたことないのですがフランス人は待ち時間や休み時間に興じている姿をよく見ます。それから富士山のことはフジヤマで通っているようです。あとで調べたのですがWikipediaでもFujiyamaのことは言及されています。ただ間違いだとちゃんと書かれてはいます・・・。

Repas de Noël その1

 今日はクリスマス前の最後の金曜日です。食事会(Repas de Noël)が企画されていることは知っていましたが、まさかそれがランチだとは日本人的には発想できなかったのです。昨年いたモンペリエの研究所でそんな企画はありませんでしたから。私はいつもと同じように食堂に向かったのですが、いつも一緒に食事する友達たちは私は今日はもう帰るからといって帰っていきました。仕方なく一人で食堂に向かうと、そこはどこかのレストランのように様変わりしていて驚きました。大部分の人がすでに着席していてとりとにかく空席を見つけて着席しました。サンタの帽子をかぶっている人がちらほらいて中には赤いコートを羽織って髭までつけている人もいます(完全にサンタクロースになっています)。アペリティフから始まってフォアグラの前菜、カモのロースト、チーズ、デザート、コーヒーとフランス料理のフルコースでした。ボルドーワインもボトルがあって皆さん昼まっぱらから飲んでます。そして食事会は3時間近く続いたのでした。途中、机をたたきながら歌いだすグループもいてほとんどドンちゃん騒ぎです。それにしてもこの食事の費用はどこから出ているのかと気になってしまいます。いつも昼食は部内者料金で食べているのですが今日は支払いすらしませんでした。食事のあとは流れ解散でした。そして今日を最後に年末年始の休暇に入る人が多い感じです。

寒波


 朝、車の鍵を開けようとしたら鍵が回りません。昨夜降った雨が凍りついたようです。力を入れて何とかまわしたところまではよっかったのですが、扉が開きません。取っ手が壊れるのではないかと心配しつつ強引に引っ張ってあけました。

車の窓に張った氷の模様が綺麗でした。水溜りにも氷が張っていて道路も凍てついていて路肩を走ると危険でした。今は日本でも大雪になっているようですが今日は昼間に雪が降りました。

Soutenance

 先週と今週は二人の友達の学位論文の発表会(Soutenance)を見てきました。発表会は公開で行われるので誰でも聴講できます。はじめに審査委員が名前と所属を言って聴衆に自己紹介します。それから研究発表が40~50分くらいあり質疑応答になりますが、質疑応答も一時間ほどになります。

 審査委員会の構成は指導教官(Directeur)が1人と副指導教官(Co-Directeur)が1-2名でRapporteurとExaminateurと呼ばれる人が各2名ほど、計6-7人で構成される感じです。フランス人から聞いた話なのですが学位審査を受けるためにはまずRapporteurに審査の2ヶ月くらい前に論文を見ていただく必要があるのだそうです。Rapporteurが論文が学位授与に相当する内容であると判断したら、Examinateurを交えた審査会を設定できるようです。

 最近(ここ4-5年)の傾向としてRapporteurの一人はかならずフランス国外の同業の(著名な)研究者にお願いするようです。これは少しうらやましいところです。発表と質疑応答は主にフランス語で行われますが、海外の研究者との質疑だけは英語になります。院生にとっては一時間の質疑をこなすのはかなりハードかもしれません。質疑は主にRapporteurとExaminateurが行い専門分野の一般的な知識を問う内容のもの(専門分野の研究の立案と遂行能力があるかどうか)と細かい内容の質問に分かれる感じです。細かい内容になると論文の○ページの××はどういうことかとか△△の方がよいのではないかとかというようなことになります。質疑応答の最後には指導教官と副指導教官がそれぞれ学生の研究内容・研究態度など私的な面も含めて講評を述べます。院生へのエールも含まれます。ここまでくると笑いも交えて和んだ雰囲気になります。最後に聴衆からの質問を受け付けますが質問できるのは学位保持者だけとのことです(でも質問する人はいないようです。「結婚は?」とか冷やかしが飛んだりもするようですが・・)。

 以上で発表会は終わりで審査委員以外は会場の外で審査結果を待つことになります。時間にして10-15分くらいでしょうか(この季節寒い中、外で待たされます)。その後会場に再び戻り審査委員長(学部長くらいのひとらしい)が講評を述べたのち○○大学○○の学位を授与しますと宣言して終わりです(この瞬間会場から拍手です)。

 その後、本人とその家族が主催する簡単なパーティが催されシャンパンなどが振舞われます。要するに審査会はよほど論文がひどくない限りパスできる前提になっています(とは言えども前日くらいから本人はかなりナーバスになっています)。審査会とその後のパーティには家族や婚約者(いれば)も参加します。ここまでの式次第はどの審査会でも同じようなものだそうです。その後は研究室の慣わしでまちまちとのこと。私の所属する研究領域では研究所の食堂に場所を移動して2次会があります。これは夜10時過ぎまで続くのです。