日曜日, 1月 24, 2010

DANS QUEL PAYS AVEZ-VOUS FAIT VOTRE POSTDOC ?

 表題は「どこの国でポスドクをしましたか?」というアンケートの設問の一つです。たまたま職場のメーリングリストでまわってきたのですが、結果の詳細は La Toile des Biologistesに掲載されています。ボランティアで運営されているサイトのようなのですがフランス語を話す人々(Francophone)がどこの国でポスドクをしてきたかがわかります。対象は生物系で回答数は122です。実に7割近くがフランス国外でポスドクをしていることがわかります。もちろん最多はフランス国内、続いてアメリカ、イギリス、カナダ、スイス、ベルギー、オランダと続きます。英語、もしくはフランス語が通じる国が上位に位置します。
 これに興味を持って日本の状況がどうなっているのかと思って調べてみたところ、学術振興会(JSPS)のサイトに統計が出ていたので紹介します。PDの分だけですが国内海外の分を組み合わせて平成21年度分についてです。分野別にばらつきはありますがまず理系も文系もひっくるめた数値です。平成21年度は特別研究員(国内)に322名、海外特別研究員に132名が採用されています。国別の内訳が下の図になります。

想像はしていたのですがやはり圧倒的に国内、そしてアメリカへ行く人が多いようです。「日本人はアメリカに行くんじゃないのか?何でフランスなんかに来たんだ?」とか聞かれたこともありますし、「日本の公用語は英語か?」と聞かれたこともあります。もっともJSPSが支援するポスドクは圧倒的に国内向けなので、海外のグラントで国外に出ている人がどれほどいるのか実際のところはわかりません。分野別に見てみると

化学と生物で海外の割合が高く、人文と社会でその割合が特に低いのがわかります。

 研究するのには日本にいても十分できますし、研究設備は逆に日本の方が良い場合もあったりしますが、その業界で世界をリードしている研究者のもと仕事をすることでえられるものは大きいです。研究の国際的な枠組みを意識することも有意義ですし、何よりも海外の研究者と個人的な信頼関係ができるのは心強いところです。

土曜日, 1月 16, 2010

Atlas

 マラケシュの喧噪を逃れるべくマラケシュで泊った宿の主人にAtlas方面へ行くツアーがないか訪ねたら、さっそくツアーを計画してくれてAmizmizという場所にある宿も予約してくれました。どうやら夫婦で切り盛りしているようでAmizmizの宿には奥さんが常駐している感じでした。半日タクシーを借り切りアトラス山脈を眺めながら山岳地帯まで走りました。モロッコの国旗は赤地に緑の星なのですが、

道すがら、それを象徴するような風景に出会いました。赤い大地とそこに点在する緑です。そして本来の建物の色はその場所の土の色なのです。



川沿いから少し外れて台地に上がると風景が変わってしまいました。広大な畑が広がってはいるもののアトラスを背後に荒野が広がっていました。雨が降ると畑が緑に覆われるのだそうです。見てみたいものです。

 到着した宿は、こんなところに宿があるのかと思うような場所に広がるオアシスでした。マダムが宿の農園を案内してくれました。畑にはいろいろな野菜や果物(オリーブ、ザクロ、レモンなどの柑橘、ブドウ、ナツメヤシ、ナスなど)が栽培されていて昼間にプール()で貯水した水が夜の間に放水されて畑が潅水されているとのこと。

プールサイドでマダム自ら日向ぼっこしています。私もせっかくなので雪化粧したアトラスを見ながら水浴びしました。水は冷たかったですが、十分プールに入りたいと思うほど日差しは強く暑いです。

 この農園ではさらに鶏をはじめ牛、羊、山羊まで飼われていました。牛は地元の牛とホルンシュタインそしてそれらを交配した雑種の牛でした。やはりホルンシュタインから最も多くミルクが取れるようで毎日20L程になるようです。チーズも造っているようですがあまったミルクは組合で売っているとのこと。常時は総勢12人ほどで運営しているらしく収穫期には20人ほどになるそうです。このご夫婦はベルギー人らしいのですがモロッコとの関わりは30年前に遡るとのことでした。

 パラソルの日陰に入りアトラスを見ながらのんびりと昼食をいただきました。シンプルな食事(でもとてもおいしい)ではありましたが、仕事のことや将来の夢など連れ合いと話しながらとても豊かな昼食のひとときでした。


夕方は夕焼けがとても美しく、そして夜は満月の月明かりにアトラスの雪が照らしだされてとても神秘的でした(写真に撮れないのが残念なのですが)。

 子供の頃からこういう農園生活にあこがれながらも気付けば全く別の世界に生きています。私にとっては夢でしかない生活、まさにそのものを実現している人を見てとても感動しました。私は「土に根を下ろし 風と共に生きよう 種と共に冬を越え 鳥と共に春を歌おう」というシータの台詞に憧れるのですが、それを地で行える場所でした。
 自分もささやかながら誰かに感動を与えられるような仕事・生き様をしたいと改めて思ったものです。忘れかけていたものを思い出すことができました。

マダムには農園を案内していただいたり、地元のマルシェに連れて行っていただいたりいろいろお世話になりました。最後にマダムが言っていた言葉を紹介します。この農園の近くに近代的で少し豪華に見える宿(建設中)があるのですが、それを見ながらマダムが言った言葉です。
「ヨーロッパ人が何を求めているのかわかってないのよ。」
やはり部外者だからこそ見いだすことができる価値があるのでしょう。
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月曜日, 1月 11, 2010

Marrakech

 カサブランカから電車で3時間半くらい、マラケシュという街に行ってみました。飛行機の中で隣合わせたモロッコ人がカサブランカはあまり見るところはないけどマラケシュならいろいろあると言っていたので一路マラケシュへと向かってみたのでした。モロッコのガイドブックはフランスで直前に買ったフランス語のものしか持ち合わせてなかったし、私にとっては寒いフランスから脱出できただけでうれしかったので特に計画も立てず行き当たりばったりのんびりとぶらり旅を楽しむことにしていました。インターネットのおかげで宿を探すのは楽にできるとはいえ年末年始のホテルは観光客で満員になるようです。
 カサブランカからの車窓はただ乾燥した荒野が広がるだけだったけれどマラケシュはまるで別世界。近代的な駅が姿を現しました。駅に降り立つとさわやかな風が印象的でした。駅から旧市街(メディナ)までてくてく歩きました。カサブランカと同じで歩行者用の信号はないに等しいので道路を渡るのが一苦労でした。


 マラケシュはその迷路のような町並みに広がるコマーシャルセンターと言ってよく、夜などは歩いていると本当に迷子になってしまいます。ここでは、Souk(商店街)と呼ばれています。写真もその一角。カーペット(Tapis)を売っているお店です。人混みが少なくて少し開けたほっとした場所でした。Soukを歩いているとよく日本語でぼそっと挨拶されます。少し発音がちがうので滑稽ではあるのだけど。入り組んだ迷路のようなSoukを歩くのは結構面白いのですが写真をとっている余裕はありませんでした(イスラム教国ということもあり写真を撮るのがはばかられてしまうと言うこともありますが)。

 メディナで道に迷って地図を広げていると、これまたよく声をかけられました。下手に道を聞けばチップを要求してくることは目に見えていたので易々道に迷うこともできません。一人の青年はNo money, No moneyと言い張るので有り難く道を教えていただきました。その青年は日本語を勉強したいとのことで。日本人らしい観光客を見つけて声をかけてきたのでしょう。



 ここはJemaa el-Fna広場の朝の様子、午後になるとここに屋台が組まれて大縁日(出店+大道芸)が毎晩繰り広げられる感じです。そして朝になるときれいに片付けられて掃除が行われているようです。残念なのはこの縁日(世界無形遺産なんだそうです)をのんびり観光できないところ。歩いていると必ず日本語で声をかけられて行き先を阻まれます。「約束、また後で、そんなの関係ない、神様・・・。」Laisse-moi tranquille(放っておいて)と言いたいところでした。ミントティをサービスするというのでしぶしぶ屋台の一角に入って串焼きをたのんだのだけれど、ミントティーは出てこないばかりかチップを要求してきた。少し頭に来たので事情を話してチップも渡さずそのまま店を後にした。かなり辟易してSoukをぶらついて落ち着いた感じの店に入り直して一息つきました。Tanjiaという料理だったのですが壺の中で牛肉をハーブで煮込んだ感じの料理を食べました。観光客が多く入るような店ではなかったのですが、それなりに満足したのでもてなしてくれたおじいちゃんに、おいしかった旨を伝えて心付けを少し渡すととても喜んでくれて、私が日本人であることを知ると「日本は友達、Hiroshima、Nagasaki」とか言って店の中や台所を案内してくれました(日本がどう映っているのか気になるところではありましたが)。台所の地下に大きな釜があって牛の頭から喉のあたりまでが丸ごと蒸し焼きになっていました。

 マラケシュからの電車で隣り合わせたモロッコ人男性が言っていたのですがマラケシュはモロッコで一番土地が高いそうです。そしてこの6年くらいの間に貧富の差がものすごく広がったとのことです。確かに同じものを売っている店が隣り合わせにあることが多いのですが、ある店は人だかりができ、そしてその隣の店は閑古鳥が鳴くという状況をしばしば目にしました。気の毒ではありますがどこの業界でもそれが現実なのかもしれません。
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金曜日, 1月 08, 2010

Casablanca

 年末はモロッコで過ごしました。昨年モンペリエで過ごした経験からしてクリスマスを過ぎるこの時期にはほとんどの店が閉まるのでフランス国外に脱出した方が無難と考えていたので前々から航空券だけは予約しておいたのです。とりあえずカサブランカに降り立ったのですが寒いパリから少し解放されたという感じが第一印象ですが空気が少し湿っている感じがしました。荷物の受け取りを待っている間にすでに暑くなり上着を2枚脱ぎました。空港から電車で移動して駅の外に出るとタクシーの運転手が盛んに客引きをしていました。ホテルは駅の近くだったはずなのでタクシーは利用せずに歩いて、道行く人にホテルの場所を聞きながらたどり着きました。とりあえず皆さん正しい方向を教えてくれていました。

 見える建物が少し味気ないですが(パラボラアンテナが目立ちますが)カサブランカの街の様子です。遠くに見えているのがハッサン2世モスクです。モロッコ最大とか。旧市街のメディナを通って歩いて向かいました。


 近くから見るとこんな感じでなかなか立派です。実はこのモスクは海に面していて、海風が非常に強くまっすぐ歩くのも難しいくらいでした。


 海もかなり波は高くて荒れています。遠い昔、大航海時代にこの海を南へ南へと向かった人たちも大変な危険を冒していたことでしょう。カサブランカへ向かうにつれて飛行機もよく揺れていました。

 モスクから戻る途中、モスクの近くで市場らしき界隈を見つけたので少し危険な感じはしましたが、通りをふらついてみました。ものすごい人混み(特に午前中は)で前進するのも難しいくらいでした。とても写真など撮っている余裕はなかったのですが牛の頭や臓物などが陳列されていてかなりエキゾティックなところでした。ニワトリは檻に入れられているのですが注文が入ると目の前で秤に載せられて・・・。秤に載せられても逃げることもせず自分の運命を悟っているかのようでした。
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木曜日, 1月 07, 2010

Marché de Noël des Champs-Elysées

シャンゼリゼのクリスマスマーケットをふらつきました。24日でしたがまだマーケットが開いていました。写真はシャンゼリゼの横断歩道の真ん中あたりで凱旋門に向かって撮影したものです。この通りの両側に結構な数の出店が並んでいて圧倒されました。昨年暮らしていたモンペリエのMarché de Noël は24日はもう閉店していたように記憶していますが、さすがパリは24日でも開いているようです。
 パリのマーケットは観光するには良いかもしれません。スイスから来たと思われる出店ではTartiflette(タルティフレット)という料理をつくっていましたし、ボルドーを掲げる出店はCanelé(カヌレ)という銘菓を売っていました。ノルウェーから来たと思われる出店はサーモンを焼いていました。定番のVin chaud(ホットワイン)も試してみたのですが、モンペリエより感動が今ひとつでした。シナモンの香りはするのですが何かがたりません。モンペリエのMarché de Noël はかなりローカルではありますが地元や近郊の街からの出店なので地味ながら味わいがあったと思います。
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Museum National d'Histoire Naturelle - Grande Galerie de l'Evolution

 進化大陳列館と呼ばれるようなのですが年末にパリに行ったときに見てきました。とにかく空間の使い方がものすごく贅沢です。ゾウ、キリンやカバの剥製が並んでいる光景は圧倒されます。子供なら大はしゃぎするところでしょう。図鑑や遠くから眺めるだけの動物園でしか見たことのない彼らがすぐ目の前にいるのです。その他、絶滅した種や絶滅に瀕した種の剥製も見ることができます。キューイとかアホウドリとかも見れます。重複遺伝子(ヘモグロビン)の解説や鎌状赤血球症と自然選択の話、環境汚染が生物多様性を脅かしていることなども展示にあり進化大陳列館と呼ぶのにふさわしい内容でした。
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